パートナーシップで広がる仕事の質──友人との協働という選択肢

気づけば、友達、知り合い、元同僚……そんな人たちと一緒に仕事をする機会が増えてきた。個人として独立して、業務委託という形で仕事をしているからというのもあるけれど、自分が社会人になったばかりの頃はこういう日々が来るなんて思ってもいなかった。

報酬の出し手が自分の友達で、自分は受託者として価値を返す。

この構造はこれまでも何度も経験してきて、そこには「一緒に作る楽しさ」や「ご縁のありがたさ」、学びの多さがあった。

また、友人・知り合いという関係性がきっかけで転職をする、ということも今まであった。Acumenもそうだったし(ボランティアをしていた団体に転職)、その前に少し関わっていたQuipperもそう(ブログを読んでくれていた人とお茶をして、社長を紹介されて、の流れ)。CoachEd(コーチェット)もそうだった(ゴールドマン時代の元同僚・友人とのご縁)

でも今年は少し違う。

“友達とタグを組んで” 同じクライアントの方を向く、そんなプロジェクトが立て続けに続いている。

ここから浮かび上がってきたものを、少し書き残しておきたい。

横に並ぶこと特有の程よい緊張感

友達と働くといっても、“横に並ぶ” というのは少し違う。同じチームに所属して一緒に働くのとも違うし、片方が依頼する側・される側という関係とも違う何かがある。

個人で得意分野・提供できる価値をそれぞれ有するプロフェッショナル同士が、ニーズヒアリング、企画からソリューションづくり、デリバリーといったフェーズにおいて、肩を並べてつくり込む

それはただの共同作業ではなくて、互いの補完性、パートナーシップの強度、リズム、コミュニケーションの質……そういうものが 試される環境 に置かれている感じがある。背中を預け合っているという関係性でもある。

「緊張感」という言葉がおそらく一番近い。

でもこの緊張は、怖さではなくて、いい意味での張り。背筋が伸びるような、プロ同士として向き合う空気。クライアントに価値を提供する、というミッションに加えて、パートナーである相手の「成功」への貢献というミッションもあるし、それは逆も然りで。

うまくいけば、仕事のやりがいやそこからの喜びも2倍返ってくるという嬉しさを備え持つ。

パイの奪い合いではなく、価値の掛け合わせ

証券会社で働いてた20代前半は、「市場という有限のパイをどう切り取るか」というメンタルモデルで仕事をしていた自分も、教育セクターにおけるイノベーションやインパクト投資の世界に触れた30代に「パイをどう大きくするか」の可能性や、「登っている山はとっても大きいから、たくさんの人がそれぞれのあり方で登っていくことが大事なんだ」 みたいな思考への切り替えがおきた。

今の感覚は、その延長上にある。

友達と組むことで、業務委託を受ける側としては、たしかに金銭的な報酬の自分の取り分が減ることになる。でも、実質的に自分が受け取る総合的な「価値」は増える方向にしか動かないという実感の方がはるかに大きい。

まず、優秀なプロフェッショナルである友人と組むことで自分一人では絶対に出せないアウトプットが生まれる。

そして、アウトプット以上にプロセスの質がぐんと高いものになる。一人ではない、背中を預けることができるパートナーがいる、かつリソースフルなパートナーがいる、という心理的安全性があるからこそ、クリエイティブに、リスクも取りながら、クライアントにより深い価値を届けられる。もちろん、その過程で自然と自分が学ぶ量も増える。

三方良しの構造
・自分にとっての成長とウェルビーイング
・クライアントにとっての価値の最大化
・パートナーにとっても豊かな経験になる(はず)

いろんな考え方があるかもしれないけれど、今の私はこういう働き方が一番心地よい。

競争ではなく、掛け合わせ。

一人で頑張るではなく、協創する。

消耗ではなく、余白から生まれる創造性。

アウトプットに集中して走る、ではなくそのプロセスからもインプットを得る。

友達と一緒に価値をつくる。その可能性と自分へのインパクト。

この静かな気づきを、今日のところはここまでの言葉として残しておきたい。

P.S. かつ、同じタイムゾーンの友達とのプロジェクトと、時差がある友達とのプロジェクトと色々関わっているのだけれど、この時差を味方につけた時のパートナーシップの生産性の高さ・・すごい。朝起きたら前に進んでいて、相手が寝ている間に自分がコツコツ前に進む、的な。

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