2024年の振り返り(トップ10)
とっくに書き終えて公開したと思っていたこれが、公開されていなかった、2024年の振り返り。
もはや今年も折り返し地点間近ではあるものの、記録のために2024年の「一年の振り返りエントリー」を整理する。
端的にいって、2024年は、色々事前に覚悟はしていたものの、なかなかのハードライフな1年で「まあ、よく走り抜けた、自分(たち)」という年だった。
2020年-2023年はそれぞれ以下のような年で、2024年に向けた準備期間であったともいえる。
2022年は自分たちの柔軟性と忍耐強さと創造性が試される年
そんな2024年印象に残ったtop 10。
10. Upbuildのコーチングプログラム修了
「まなびのはなし」のエピソードでも、ブログでも何度か触れていたコーチングプログラムの「修了式・卒業式」が4月にあった。
右も左もわからないまま初心者として2019年にコーチングトレーニングを受けた時(その時はCTIのプログラムに参加した)に比べ、じっくり味わうことができた今回の体験。
コーチングをする人間として、素晴らしい学び直しの機会となった。
仕事柄、色々なCohort based learningの事例をみてきているけれども、Upbuildのプログラムの完成度は結構高い。プログラム修了後も続く関係性が心地よい。そういう場をつくっている運営チーム・ファシリテーターのあり方からの学びも多く、そこからの刺激もあった。
まだ始まって5年弱ということで、今後規模が大きくなる中でプログラムやコミュニティの質がどうなっていくかは未知数ではあるものの、個人的にイチオシのコーチングトレーニングプログラム。毎年10月に開講:https://www.upbuild.com/coaching-training
9. LLCの立ち上げ
年始には想定していなかった展開ではあるものの、LLC(日本でいう合同会社みたいなもの)を立ち上げ、個人事業主になった。
ビザ申請のために必要だから、という出発点だったこともあり、何をやる会社?会社の名前は?をじっくり考える暇もなく、「とりあえずやった」的な法人立ち上げプロジェクト。
以前コーチェットの米国法人をLLCとして立ち上げ・ひとり現地法人代表として運営した経験があったことを少し生かすことができた。今回は、3人の方にボードメンバーとなっていただいた(法人のwebsiteに紹介させていただいているが、ものすごい心強い御三方)。そうやって説明責任が必要になる仕組みがあることが、自分には必要で、適度な緊張感を持ちながらやっていくのが楽しみでもある。
それにしてもLLCは維持するだけでもじわじわと資金が減っていく。ビザの仕組み上、自分に給与を払うこともしなくてはいけない、税金も発生する、などなど、売上を立てることをしっかり考えなくてはいけないなぁ、という気持ちを抱えながら2024年の後半の日々を過ごした。
8. 大学院の卒業+その前のベトナムへのinternational trip
2024年の5月には、2022年の8月から通っていたパートタイムのexecutive 修士のプログラムを卒業した。2023年の振り返りにもすでに大学院生活については書いていたが、2024年もいくつか授業が残っており、特に、世の中的に色々と流れが変わりつつあるタイミングでダイバーシティをテーマにした授業を受けたのは貴重な体験だった。
2025年1月のエントリー:「職場でのDEI」という授業 - 願いと恐れの波の狭間で
そして授業以上に印象に残っているのは海外tripのこと。自分が通った、この2年プログラムの目玉であるともいえるtrip、行先はギリギリまで発表がなく、ベトナムだ、と知ったのは確か2023年の終盤だった気がする。ベトナムは自分は未体験。ハノイとホーチーミンの両方に行くという、充実の内容となっていた。
実際に行ったのは3月。子供は3歳半。彼が生まれてから初めての「ママ出張」で、家族としても印象に残る思い出を残したtripとなった(パパお疲れさま、義理の家族、ありがとう)。
今回はたまたま私たちclass of 2024に加えclass of 2023のメンバーも一緒で、そこには同じくらいの子供を抱えたママが二人いて、「働くママ・大学院に進学し、10日間international tripにいく」という道を歩む仲間が思ったよりいる!というサプライズもあった。
7. ベトナムで感じたこと
ベトナムでの体験は本当だったら別途ブログにまとめたいくらいだったのだけれど、時間がなく書けていなかった。ベトナムは「勢い」を感じる国だった。ちょうど、米中関係の悪化を踏まえ、ビジネスが一部ベトナムに流れ始めていたタイミング。人口動態的にも若く、労働力が潤沢で、「真面目に働く国民性」が売りの、この国に注目している外資のエネルギーを色々な業種・組織で感じた。米国とは違う、日本とも違う「勢いがある」「若い」国ってこういう感じなんだ、というのが印象に残った。
それまで、インド・マレーシア・バングラデッシュという国と働くことはあった。でも彼らとも(当たり前だが)違う。不思議と日本と何か近しいものを感じさせるお国柄だったのも行くまではわからなかった。
外資が現地の優秀な人材をどう惹きつけて、キープするかを思考錯誤している様子とか、国全体として高度人材不足という課題(特に医療セクターなど)はある、という現状、日本と似ていて英語がしゃべれるバイリンガル人材が社会全体に占める割合がすごく少なくて希少価値を持つ、というhuman resourceに関わることを見聞きした。
また、女性が結構活躍している、という印象も抱いた。聞いてみると、子育てを支援する親・親戚が結構いるため今働き盛りの女性はそのサポートを受けやすいとか。一方で少子化も女性の社会進出と共に進み始めているので、この構造がどのように続くのかなど色々気になる動きもあった。
他にも、北と南で雰囲気が全然違ったり、民主主義っぽい雰囲気はありつつ社会主義という政治的背景の中で存在している、ということを色々なところで感じることがあったり、大気汚染の影響が気になったり、ホーチーミンのきらびらやかな開発エリアのすぐ横で格差・貧困の兆しを垣間見たのも印象に残ってはいる。
やはり、リアルで色々間近にみることの価値は本当大きい。そんなことを感じたtripだった。
個人的には同国初の社会的企業とされているKOTOによるレストランでの食事・創業者とのtalk、AIP財団(交通安全に特化した活動)が支援しているHelmet for Kidsプログラムの話やヘルメットメーカーのProtecの工場訪問が印象、ベトナム戦争に上空からばらまかれた毒薬の被害・後遺症を抱えながらアーティストとして活動している方たちの作品を売っているお店での体験などが記憶に残っている。
6. 引越し
2024年の夏に、家族3人+🐈1匹で近所に引っ越しをした。コロナ禍の2021年の年初から住んでいた場所は、ニューヨークの賃貸市場が冷え切っていた時に賃料がお得になっていた状態で越したところ。ほとんど家を出ない生活をしていたので、室内の快適さを優先した結果選んだ物件だった。
ただ、時は流れ、半年だった息子も動き回る活発4歳児。周囲の不動産開発もどんどんと進み、自分達のライフステージのニーズや希望の生活環境との乖離が広がっていたタイミングで移動を決めた。
2021年の時に比べて賃貸市場は需給逼迫・賃料高騰で、希望の物件を見つけるのが楽ではなかったものの、運と縁とタイミングのおかげで、最終的に私たちが満足する場所が見つかった。ちなみに、詳細は省くものの、今のところに決まるまでに少なくないお金を「捨てる」決断をした。
引っ越して1年前後経った今のタイミングで思うのは、決まりかけていた違う物件を振り切って今のところにして本当によかったということだ。
当時の意思決定の背景には風水からのインサイトがあったのだけれど、いつかそれについても書きたい。
5. 転職活動
2024年5月に「転職活動はやめよう、法人を立ち上げてO1ビザ一本狙いでアメリカに残る道を見出そう」と決意をするまで、2023年夏くらいから始めていた転職活動をずっと続けていた。
2023年の振り返りのエントリーを書いた時には「2023年は26のポジションに応募した」と書いていたものの、最終的には2024年5月前後までには93のポジションへ応募をした(と、すでに記憶のかなたにあるJob Search Trackerというエクセルに書いてあった)。
Linkedinのようなところで応募したもののヒット率はやはり低く、自分がご縁があったのは、国際機関関連(ウニセフ、UNDP、世銀)、金融、ベンチャー・スタートアップ、コンサルタント、教育機関というカテゴリーの会社だった。リクルーター(日本人)の方々との面接も幾度とした。WantedlyもYOUTRUSTもビズリーチも使った。記憶に残っていないサイトにも登録した。人を紹介してくれた方もいたし、positionが明確になくてもinformal meetingをしましょう、といってくださった組織もあった。
面接を何度も繰り返した組織もありがたいことに何社もあった。
でも、やはり、自分にとって大事な「ニューヨークベースで(たまに出張があってもOK)」「ビザスポンサーつき」「人・組織に関わる仕事をしたい」が揃うご縁はなかった。
なので転職結果の結果・outcomeは「仕事につながらなかった」、なのだけれども、そのプロセスで大変多くのことを得ることができた。
組織のカルチャー・リーダーシップのあり方が伝わってくる
採用プロセスがどのくらい整っているか・仕組み化されているかが伝わってくる
自分がどのくらい相手・先方との対話を楽しめたかどうかのサインが身体的に出る(肩凝るとか)
AIツールは履歴書・cover letterの最適化のパートナーに大変優秀・時短になる
ちなみに一社だけ「候補者をこういうふうに扱う会社があるのか」という体験もした。表面上「イケてる」会社というふうに取り上げられることがあったとしても、私はきっとあの時の体験は忘れないと思うし、正直2度と関わりたくないという感想を抱いた。
もちろん逆に、リクルーターの一人を含め、今回は縁がなさそうだけれど、中長期的に関係を育み続けたいと思い合えるようなありがたい出会いもいくつもあり、採用活動は究極の広報活動である(個人側も組織側も)と思ったり。
4. ママトラ
これはすでに書いているけれど、3つ目となるポッドキャストを始めた。2つ目のポッドキャスト「まなびのはなし」が一旦卒業になり(パートナーのemiさんのお仕事が忙しくなるタイミングでもあり)、どうやら私はポッドキャストをつくっていない時期が続くと、新しいものをつくりたくなる傾向があるらしい。
忙しいworking moms同士でやっている、ということもあるので、更新ペースは不定期に。それが今までのポッドキャストとは違うのだけれど、エントリーに書いたようにテーマ的には結構自分の興味分野に重なることもあり。細く長く続けられればいいなと思っている番組。
このトピックは、個人・当事者だけの話ではなく、彼らを取り巻く環境・関係者・彼らの関係性を含むシステム全体の話であるという点や、簡単な解決策でなんとかなる技術的課題(technical problem)ではなく「自分たちのものの見方や関係性を変容させる必要がある」適応課題(adaptive problem)✴︎ であるという点が自分の興味とも重なっており。一見、自分の今までのキャリアや興味分野から離れたところにあるように見える今回のポッドキャストですが、実は自分の今までのリーダーシップ開発・コーチングの世界とのつながりは結構自然だったりするのです。
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2024
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- Oct 14, 2024 #009 - 食事の準備というeveryday task - "what's for dinner?" 対策
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2025
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- May 22, 2025 #011 - 二人目のタイミング
- Jun 5, 2025 #012 - そのときにしかできないことをやったほうがいい - ゲスト:西小倉里香さん
- Jun 17, 2025 #013 - パートナーに対してイラッとするとき
- Jun 29, 2025 #014 - 想像できたもの・道が描けたものは実現できると思っている - ゲスト:反町真理香さん
- Jul 14, 2025 #015 - 28歳の時の自分に伝えたいこと
- Aug 28, 2025 #016 - 美容師+ライフコーチ、二児の母としてチャレンジする、新しい働き方 - ゲスト:Chisatoさん
- Sep 15, 2025 #017 - 4年目ママと5年目ママで変わったこと
- Nov 11, 2025 #018 医者であり、二児の母。国外帯同中も自分らしさを忘れない - ゲスト:
3. 妊娠
引っ越しの直後に妊娠が発覚した。LLCを立ち上げてビザを申請して、それが通れば米国に残れるし、難しかったら日本に帰らなくてはいけない、そんなタイミングの最中の出来事だった。
もちろん嬉しい気持ちがあったが、色々タイミングが重なり過ぎている状況にむしろ可笑しさが込み上げた。もうなんでも来い、的な。
このお腹の子はアメリカで生まれるのだろうか、日本で生まれるのだろうか。
答えがない問いが頭によぎりつつ、妊娠初期のプチつわり期に、それまでの場所の2/3くらい(いや半分か?)のサイズの家に引っ越した後の大量ダンボールの山を眺めながら、元気いっぱい4歳児の有り余るエネルギーを発散させる日々。
ビザがうまくいかなかったら、この家に住み続けることも難しいわけで、引っ越しの荷物を片付ける意欲もそこまで湧かない。USオープンのテニスをTVで見ながらひたすらダラダラする夏。
パートナーにはこの時期大変お世話になった。
2. 日本
そんな「個人事業主になって、Oビザ申請準備、妊娠初期」という2024年の夏を過ごし9月にようやく申請資料提出。
そのあと、なんと10月に急遽日本に帰らなくてはいけない事態に発展した。日本で申請をし直し、そこで大使館面接をする、というルートに戦略を切り替えるということになったのだ。
息子と二人で、だんだん大きくなるお腹を抱えながら(ほぼ)片道切符で日本帰国。
実家に身を寄せながら、息子の「いつ帰れるの?」に答えられないまま、地域の自治体には「産院をそろそろ決めなくてはいけないと思います、かかりつけのお医者さんはいますか?」という問いをもらうなど。確かにアメリカに戻れなかったケースを想定しなくては、と、自分でも日本で産む可能性に向けて準備をし始めつつ、ビザ申請の結果を待つ、というなかなかの綱渡り生活をした。妊婦生活中ずっと自分が健康だったのが本当にラッキーで、これで色々不調とかがあったら心身乗り切れていたのか自信がない。
一つ、よかったことは、息子を日本のマイリンガル保育園に6週間いれてみたこと。
どのくらい日本に滞在するかもわからなかったし、自分一人では彼のエネルギーを毎日はさばききれない。せっかくだからほとんど使っていない日本語もこの機に触れてもらおう。いわゆるお受験様ファミリー的な人たちがいくバイリンガル保育園ではなく、見学時の雰囲気ですぐ気に入ったmulti-age mixでのびのび系の保育園にいってもらった。
ニューヨークでは英語環境で自信いっぱいで対人コミュニケーションを堂々としている息子も、マイノリティ・思ったことを思ったように言えない環境で色々新しい成長体験をしたようだった。頑張ったね。
過去エントリー:4歳の息子から学ぶ人生の楽しみ方
ビザ申請が通った!となっても、大使館面接の枠がない!とか、面接は大丈夫だろうか、など色々不安がいっぱいあったのだけれど、12月上旬に息子とアメリカに戻れた時は本当にほっとしたし、そんな波乱万丈な6週間を暖かく見守ってくれた実家の両親には心からの感謝の気持ちしかない。
1. Oビザ取得
ビザのための転職活動から始まった2024年、年の半ばに「そうだ、O1ビザで行こう」となってからの半年間ずっとそのゴールに向かって走っていたような年だった。happy endingが確定しているわけでもなく、50-80%?くらいの確率でいけるのでは・・という気持ちでずっと走っていた半年。
その間には大学院の卒業も、息子の4歳の誕生日会も、引っ越しも、妊娠発覚もあったけれど、それらがおまけのストーリーに見えるくらいビザストーリーがメインとなった1年だった。
ビザについては別途エントリーを書いたけれども、とりあえずこのビザで2027年秋まではアメリカで働くことが確保されている。更新の時はまた色々あるかもしれないし、以前E2ビザで経験したようにビザがあっても完全に安心することができないのが「移民ライフ」でもある。
とはいえ、心配してもきりがないので、まずは「今後2-3ヶ月先の予定をたてることができる」ようになったことを素直に喜び、2024年頑張った自分+家族を褒め、その道のりをサポートしてくれた多くの人たちに心から感謝を伝えたい。
そんな2024年という年だった。
2025年もすでに年半ば。2024年とはかなり違った、ゆったりとした振り返りになりそうな気が今からしている。
