高すぎる学費とMOOCの台頭
大学の学費が高い
以前少しこのブログ (OECDのレポート)でコメントしたアメリカの高等教育の学費の高さの異常っぷりについて。
2018年12月に追記リンク:OECD Data - Spending on tertiary education
日本から来ている自分でも「アメリカの大学/大学院の学費って高いな」と思うくらいなので、世界の大半の人からしたら「バカ高くて笑ってしまう」くらいの学費の高さのはず。(教育学部ではフルで私費で払っている人にあまり出会わない)(実際ScholarshipやFinancial Aidの金額次第では入学辞退を検討してた、という同級生もいる)
多くの人にとって「learn to earn」の実現のための就業期間であるはずの大学生生活。卒業してみたらearn(稼ぐ)はおろか、巨額の借金を背負うことになったというのはこっちではよくある話。(オバマ大統領夫妻もハーバードの法科大学院を卒業したあとに二人が抱えていた借金の毎月の返済額は家賃より多かったという)
上昇する理由・下がらない理由
学費上昇の背景を少し考えてみた。(以下は特にMBAを含む修士号の場合、学士はちょっと違うのかもしれない)
まずは学校からの視点: 景気が悪い▷入学希望者は増える▷自分たちのところへ学生を集めるために人材や設備や資源に投資▷コスト増▷学費へ転化▶︎学費上昇。これで学生が集まらずコスト増を学費に通すことができなかったら学校側も考え直すのだろうけど、景気が悪い時に学校に戻ってくる社会人は多いときている。過去の上昇トレンドを見る限り、需要があるのだろう、だから学校側は上げ続ける。
学生の視点から考えると:より良い職&やりがいのある&自分の興味のある世界の仕事につきたい▷スキルアップ&ネットワーク構築のために、そのような仕事へ繋がるような環境にいきたい▷多少高額だったとしても自己投資機会と捉えて学費をなんとか工面して進学。つまり需要側が大きく減ることは多少の学費上昇では起こらない。
一部の学校、特に有名どころは期待を高めた学生を集め続けられるのでコストを学費に転換し続ける。(そういうところにはに国費社費派遣の学生や日本の大手企業や官庁からの派遣が一定の学生人数を定期的に派遣している、もちろん学校側の奨学金・補助金制度などを一切活用しないこのような「お客さん」は学費高水準維持の背景に少なからず貢献しているはず)また、優秀な学生/教授を集め続ける必要性もあるので投資も毎年継続するはず、そういうところは特に。
今の時代での投資対効果は?
学位そのものの保有にプレミアムがあった時代は学士や修士を持っていることそれ自体がジョブマーケットで自分を差別化する要素の 一つとなっていた。その後も、どこから学位を取得した、という情報はある程度のシグナリング効果を持っていた。就職市場において。しばらくの間はアメリカでのそこそこ名の知れている有名校に進学するということの投資対効果はネットでプラスだったんだと思う。
でも今はどうだろう。
すでにジョブマーケットには自分と似たような学位を持った人がうじゃうじゃあふれ、企業が求めている人材のあり方も変わってきて(特に知識業界と呼ばれる世界の話)もはや「学位をどこどこから取得した」という事実そのものだけでは自分の希望するキャリアのスタート地点に立つことも難しくなった。キャリアアップもチェンジもそれだけでは容易でない。
今の組織でもMBA保有者は毎年インターンに、職員枠に同じような履歴書をたくさん送ってくる人たちを今まで見てきた。
そんなどんぐりの背比べから突出してる印象を残す人たちというのは、入学後の継続的な自己研鑽はもちろん、自分と同じような経歴や能力を持つ他の人との違いや、その人らしさ・その人の強みの積み重ねを見せれる人たち。それは、どこに入学してどこから卒業したという簡単な話ではもはやなくなっている。
しかも今までやってきたことのみならず、更なる成長の可能性といったことを見せることが求められている。
つまり。
昔:費用=良い学校に入学するための努力、学費・生活費、効果=就きたい仕事への扉へのアクセス
今は同じ「効果」を得るために必要な要素はもっともっと多様になっている。
進学先での時間での過ごし方、学校外での過ごし方、選択の軌跡を通して浮き上がってくる「人生ストーリー」と積み重ねてきた体験からの学び、新しい環境や機会への適応力・・・そうすると学校への進学以外にも考えなくてはいけない要素はいっぱいある。同じだけのお金が手元にあったとしたら、それを全て学校進学に使うのが本当にベストなのだろうか、ということも頭をよぎるような時代になった。(と私は思う)
組織(大企業、ベンチャー、個人事務所問わず)の採用側も一部は実際にそういうシフトを理解していて、さらにそういった採用側がそう思っているだろうなということを高等教育への進学を検討してる側も感じ始めているというところではないだろうか
関連エントリー:組織にとって「歩留まりの高い」採用方法とは
MOOCの台頭
そんな時代の過渡期だからか、個人的にびっくりするくらいMOOCは注目を浴びている。(自分がTechnology Innovation Educationプログラムにいるからという可能性もあるけれど)今はこの単語を教育関連のブログやニュースソースで見ない日はないくらい色々なところでこのテーマが話題になっている。
関連エントリー:今後MOOC関連のニュースを追う前に
この動きを知った一番最初の時はMOOCはまだまだ「nice to have」のことだと思ってた。確かにこういう形で学びが得られたらcoolだよね、くらいに。Face to faceに比べたらまだまだ足りないよね、という若干の懐疑心も持ちながら。
とはいえHGSE(ハーバード教育学大学院)に来てから、もう少し自分の固定概念にとらわれず、真剣にMOOCの可能性について考えるべきかも、と思い始めてます。そもそもごく一部の限られた人にだけではなく世界中全ての人に差別なく「learn to earn」の機会って提供されるべき、ということ・・・あまりにも恵まれた人生を歩んで来た自分はこういう話に対して感度があまりにも低いと反省させられます。今後世界全体へのインプリケーションとしてMOOCの今後の動向に引き続き注目したいと思います。
補足:MOOC初耳の人へ
この記事の前半部分(リンク)の説明が比較的分かりやすかったのでここに載せておきます。
MOOCの特徴
学びの題材がAggregation(事前に準備されたものではなく形成されていくもの)
学びの題材はRemixing(様々なソースの内容が混ざったもの)
学ぶ個人一人一人に対してAggregatedされたもの、
Remixされたものを組み替える、それらを学ぶ個人が仲間に対して主体的に提供したり、事後共有する
MOOCの背景にある教育理論:Connectivist principles from Siemens (2005)
Learning and knowledge rest in diversity of opinions.
Learning is a process of connecting specialised nodes or information sources.
Learning may reside in non-human appliances.
The capacity to know more is more critical than what is currently known.
Nurturing and maintaining connections is needed to facilitate continual learning.
The ability to see connections between fields, ideas, and concepts is a core skill.
Currency (accurate, up-to-date knowledge) is the intent of all connectivist learning activities.
Decision-making is itself a learning process. Choosing what to learn and the meaning of incoming information is seen through the lens of a shifting reality. While there is a right answer now, it may be wrong tomorrow due to alterations in the information climate affecting the decision.

まだまだこれから取り組むべき課題もあります http://www.onlinecolleges.net/2012/07/11/the-world-of-massive-open-online-courses/
元のエントリーは2012年10月に教育学大学院にいた時期に書いていたものですが、それ以降いくつかMOOCについて記載したものはこちらです。
また2018年12月の時点でMOOC業界動向を理解するためにオススメするのはEdSurgeに同僚が寄稿したこちらです:「Stop Asking About Completion Rates: Better Questions to Ask About MOOCs in 2019」